あごが落ちる

出雲国大社食品のあご野焼。Eマーク認証を受けた伝統食品

辺見庸著『もの食う人びと』(角川文庫)に、こんな一節があります。 <「これは死ぬほどうまい!」と世界中に叫びたくなるほどのものは、しかし、そうはない。
 その、めったにないことに、今回ついにめぐりあえた。ほっぺたが落ちる。あごが落ちるどころではない。おいしさに体が震えた。舌が踊り、胃袋が歌いだした。>
この文章を読むだけで、お腹がすいてきそうです。

ちょっとうれしかったのは、「ほっぺたが落ちる」と「あごが落ちる」を使っていたことです。どちらも、おいしさを表現する慣用句ですが、最近はあまり使われなくなりました。とくに「あごが落ちる」の凋落が激しく、活字として読むことも、耳にすることも滅多にありません。

この表現が生き残っていないと、島根県特産の「あご野焼」の名前の由来を説明できません。ここでいうアゴは、飛魚(とびうお)のこと。島根県の県魚となるほど、山陰では親しまれている魚です。

飛魚の旬はこれから始まり、秋まで続きます。飛魚も回遊魚で、九州方面から山陰沖を通って、北海道方面に北上するのですが、出雲地方沿岸を通る初夏から夏にかけてが、産卵直前の最もおいしい時期。他の地方に比べ、島根県で飛魚が高く評価されているのは、いちばんいい時期の飛魚を獲れるからなのです。

だからこそ、「あごが落ちるほど」おいしい。それを略して魚の名前もアゴとなりました。くせのない白身はカマボコの原料としても適していて、すり身にし、島根県産の日本酒等を加えて調味したものを、竹輪状の形に焼き上げたのが、「あご野焼」です。

出雲国大社食品のあご野焼は、Eマーク認証を受けた本物の野焼です。その認証の内容は、「国内の港で水揚げされた飛魚のすり身に国産のその他の魚肉のすり身を加え、または、加えないで、県産の酒等を加えて調味したものを、くしに円筒状に巻き付けて成形して焼いたもので、県内で製造されたもの。魚肉すり身のうち飛び魚の含有率は70%以上で、肉厚は1cmであること」です。食べてみると、原材料の質の高さが伝わってきます。

それにしても、「顎」(あご)にまつわる表現は、ちょっと難しい時期を迎えているのかもしれません。「あごが落ちる」は忘れられるし、「あごが外れる」は誤解されています。本来、大笑いするさまを表現する慣用句だったはずですが、マンガの影響か、驚愕するさまだと理解されることが多い。

いやはや、英語でいうとjaws droppedという感じ。こちらは直訳すると「アゴが落ちた」ですが、「おいしい」という意味ではなくて、「呆気にとられた」(口をポカンとあけた)という意味です。(F)