ホップつながり

ホップ

前回、W.コープランドが横浜・天沼の地にスプリング・バレー・ブルワリーを開設し、国産ビールの製造をはじめたことを書きました。今回はその続きです。
スプリング・バレー・ブルワリーを歓迎したのは、ビールに飢えていた在日外国人や、またたく間にビールを受け入れた日本人だけではありません。同時期に、横浜の地に根付き始めたパン作り職人たちも恩恵を受けたのです。
すでに江戸時代に、ポルトガル人によってパンの存在が伝えられていました(英語の「ブレッド」ではなく、ポルトガル語源の「パン」がいまだに日本語として生きているところに、歴史が隠れています)。こうした素地があったので、日本が開国し、横浜に外国人が多く住むようになると、早速、内海兵吉がパンを横浜で焼き始めます*。1860年(万延元年)のことでした。
翌1861年(文久元年)には、アメリカ人のW.グッドマンと、ポルトガル人のF.ホセが相次いで横浜にベーカリーを開業します。まさに横浜は、日本のベーカリー発祥の地なのです。
1864年(元治元年)、グッドマンは一時期国するにあたり、イギリス人のロバート・クラークに店を預けます。クラークがその後独立し、開業したのがヨコハマベーカリー**です。
ヨコハマベーカリーの名物は、イギリス風の食パンでした。クラークがイギリス人であったというだけでなく、明治政府は文明開化にあたりイギリス人を重用したため、需要も多かったのです。
イギリスパンの特徴は、型にいれ、上に蓋をせずに焼き上げること。山型に膨らんだ食パンは、生地がふんわりしていて、とてもおいしい。しかし、膨らませるには、酵母を上手に制御し、しっかり発酵させるパン種を作らなくてはなりません。酵母菌や乳酸菌に活躍する場を与えてこそ、香り高く、おいしいパンが焼き上がるのです。
クラークが持ち込んだ手法は、パン種にホップを使うものでした。殺菌力のあるホップが菌とかかわり、おいしいイギリスパンを作りあげます。横浜のベーカリー職人たちは、ビール作りのために大量にホップを仕入れるスプリング・バレー・ブルワリーからホップをわけてもらい、パン種作りに励んだのです。
その後、この製法は手軽なイースト菌を使った製法に押され、とくに太平洋戦争をはさんでほとんど姿を消していました。戦後、もういちどゼロからホップを使うパン種作りに取り組み、香り高きイギリスパンを復活させたのが、ロングセラーを続ける紀ノ国屋のイギリスパンなのです。袋をあけると、ふわっと香るホップの香りは、文明開化の香りなのかもしれません。(F)
* 内海兵吉は富田屋というパン屋を開業。富田屋は1965年まで続きました
** ヨコハマベーカリーの伝統を現在も継いでいるのが、横浜・元町のウチキパン株式会社です。












