松江の和菓子

和菓子左から彩雲堂の若草、風流堂の朝汐、福田屋の柚餅子。不昧公が松江和菓子を育てました。

島根県の松江といえば、和菓子が有名だそうです。じつは、最近まで知りませんでした。和菓子といえば京都というイメージが強すぎたのでしょう。調べてみると、京都、松江、金沢が日本の三大茶処・菓子処なのだそうです。

この三つの街に共通するのは、茶人が和菓子を育てた、ということです。松江の場合、松江藩七代藩主の松平出羽守治郷(まつだいら でわのかみ はるさと)の存在が大きいといいます。

治郷は号を「不昧」(ふまい)と称したため、不昧公という呼び名のほうが定着しています。不昧公は、徳川将軍の中でも最も有名な徳川吉宗が将軍となった1751年の生まれ。江戸の藩邸で生まれた不昧公は、幼少時から石州流の有沢能登、遠州流の正井道有などから茶の湯の手ほどきをうけ、弱冠20歳にして自らの茶の湯について『贅言』(むだごと)という書物を著すほどの文化人でした。

その内容は、華美に流れた同時代の茶の湯を批判するもので、不昧公は「礼節の茶」を自ら求めることが、茶の湯の真の姿であると説いています。茶の湯といえば、千利休くらいしか思い浮かびませんが、江戸文化の爛熟期に活躍した松平不昧公こそ、その後継者というにふさわしい人物であったように思います。

その不昧公が愛でた和菓子が、いまでも「不昧公好み」として伝わっているのが、松江という街なのです。たとえば、 曇るぞよ 雨ふらぬうちに 摘みてむ 栂尾山の春の若草 という不昧公の歌から命名されたのが「若草」。公は春の茶席に好んで用いたそうです。(F)

参考文献
浅野二郎・藤井英二郎. 1977. わび茶と露地(茶庭)の変遷に関する史的考察----その10:松平不昧の大崎園. 千葉大園学報第51号.